「江戸六地蔵」の一つとして知られています。開基(寺の始まり)は不明ですが、行基菩薩が開いたものと伝えられています。
記録によると今から400年前、元和元年(1615年)祐遍法印により中興開基(一度衰えたものを再建)が行われたとされています。
中興再基の後、第一世祐遍法印から第十九世龍譽までの間が江戸時代でした。
当時の主な街道だった中山道が門前にあったので諸国へ往来する人々でとても賑わったということです。
享保15年(1730年)には八代将軍吉宗公が狩りのために巣鴨大根原(現在の巣鴨5丁目から西巣鴨4丁目辺り)にいらした時には当寺を御膳所(お休みなさる場所)とされ、御成門(寺院などで貴人を迎えるために設けた門)が建立されたといわれています。
また、近くには染井という植木職の人が多い土地があったので、植木栽培も盛んで特に「巣鴨作り」という菊の季節には沢山の人が見物に訪れました。
眞性寺はいろいろなお参りの札所にもなっており、「御府内八十八ヶ所」と
「江戸六地蔵参り」が現在でも続いています。
〇「江戸六地蔵」について
境内の左手に高さ2メートル68センチ、台座を含めると3メートル45センチのお地蔵様があります。この地蔵尊は深川の地蔵坊正元という方が造立を志したもので、真性寺の地蔵尊が完成したのは正徳4年9月(1714年)です。由緒については正元が難病を患った時に地蔵菩薩にご祈願したところ、たちまち全快したので感謝し多くの地蔵尊を造立したということです。
そしてこれは江戸庶民からの寄進によって建立されたもので11,700名もの人々が寄付されたそうです。
しかし明治時代には火事に」見舞われて、長い間再建が出来なかった時期もありました。さらに昭和20年4月13日の東京大空襲によって全焼の被害にあいました。ご本尊の薬師如来と江戸六地蔵などが被害を免れたので、焼け跡から再建を目指しました。昭和51年には全ての工事が終了しましたが、その後も改良を重ね、平成15年、エレベーター完備の客殿庫裡が完成しました。
■出典-真性寺より提供のパンフレット
制作/ATELIER KIMURA