大鳥神社

おおとりじんじゃ

神社・仏閣

豊島区雑司が谷3丁目20-14

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わがまちを おおとりじんじゃが まもってる
英語
The Ohtori Shrine guards our town.
中国語(簡体字)
我们的市区  有大鸟神社 庇护着
中国語(繁体字)
我們的市區 有大鳥神社 庇護著
韓国語
우리 마을을 오오토리신사가 지키고 있어
インドネシア語
Đền Otori đang bảo vệ thành phố của tôi

大鳥神社とは?

大鳥神社は、雑司ヶ谷3丁目20-14にあります。

御蔡神(ごさいじん・お祀りしている神様)は日本武尊(やまとたけるのみこと)と倉稲魂命(うかのみたまのみこと)です。

 

■大鳥神社の歴史

正徳2年(1712年)、松江藩主であった松平公の嫡男ちゃくなんまん千代ちよきみ天然痘てんねんとう(天然痘ウイルスによる感染症)という病気になりました。まん千代ちよきみとせばし付近のお屋敷に住んでいらしたそうですが、天然痘てんねんとうを治すために鷺大明神に祈願したところ病気が治りました。

そこでさぎだい明神みょうじん鬼子母神きしもじん境内けいだいの手水舎(ちょうずや)の傍らにおまつりし、これが大鳥神社の創め(はじめ)です。

(手水とは神社を参拝する際に、手や口を清める風習のことです。手水舎とはこれを行う建物のことです)

その後、この神社は「鷺様(さぎさま)」と呼ばれ、天然痘を治す守り神として信仰を集め、「江戸名所図会ずえ雑司ぞうし谷之部やのべ」にも社殿の位置や形が明瞭に描かれています。

明治になると、「神仏判然令」という法律ができました。これは神道と仏教、神社とお寺を別のものとしてはっきり分けるということです。

そのため、法華経の寺院である鬼子母神きしもじん境内けいだいにあった「鷺明神」を「大鳥神社」と改称して、「神仏しんぶつ分離ぶんり(神様と仏様を分けてまつること)」をすることとなりましたが、最初は40坪の借地から出発したわけです。しかしその後も氏子の方々や、信仰と文化を護り(まもり)活かそうとしてきた地域の方々の努力によって約500坪の境内を保有するまでになっています。

主なお祭りは9月10日前後の土、日曜日に行われる例大祭と11月酉の日に行われる酉のとりのいちです。酉のとりのいちは江戸時代に始まりました。

境内社けいだいしゃ」というのは神社の境内に、本社とは別にまつられている社(やしろ)のことです。大鳥神社には境内社けいだいしゃが二社あります。

 

 

社殿右手に鎮座ちんざしているのは三杉稲荷神社です。

もとは日出町の都電通り沿いで個人の方が祀っていましたが、1967年、首都高5号線の用地となったため、大鳥神社境内に遷座(神体、仏像などをよそへ移すこと)とされました。

手水舎のそばに祀られているのは西宮神社です。

大鳥神社が鬼子母神堂境内に鎮座していた頃は恵比寿神も祀られていましたがその後行方がわからなくなっていました。2010年、雑司ヶ谷七福神の創設に伴い、兵庫県・摂津西宮神社よりの御分霊(ある神社の祭神の霊を分けて他の神社を祀ることにより再び恵比寿神をお祀りすることになりました。

 

出典-雑司ヶ谷大鳥神社作成パンフレット

大鳥神社への行き方

・都電荒川線 「鬼子母神前」より徒歩2分 ・東京メトロ副都心線 「雑司ヶ谷駅」より徒歩2分 ・JR山手線 「池袋」より徒歩7分